本  文

はじめに

 

           
  私がここに記載した項目は、業務上の介護日誌のようなものではない。介護技術習得や実践を          
 通じ、ふとした瞬間の出来ごと等を記録している。それではなぜ、介護実践の内容を記録した          
 のであろうか? それは介護現場には要介護者(介護される人、介護施設の利用者)の生き様が          
 表れており、65才以上の私には明日は我がことと思えたからである。私は自分が要介護になった          
 場合、このように介護してほしい、あのようには介護してほしくないとつぶやきたいのである。これ          
 が当初の動機(目的)であった。ところが出筆していくうちに、段々と目的が増えてきた。          
  第一は、目下介護に無関係の高齢者へ、介護に取り組むきっかけを提供したい。          
  65才以上で元気な高齢者は、毎日が日曜日であり、さあ、何をして過ごすか考えなければ          
 ならない。これは贅沢な悩みとばかり言い切れない。実にしんどい悩みでもある。このような場合          
 の時間つぶしに介護関連の勉強をされてはいかがでしょうか?勉強して知れば知る程、疑問          
 や矛盾がわいてきて、深見にはまっていく。シニア向けの介護関連講習会や通信教育等がたく          
 さんある。そうする内に、すぐに数年は経過する。勉強しているうちに、介護関連のボランティア          
 活動では飽き足らず、起業する人も現れることであろう。今後、種々な介護サービスや介護に          
 従事する人は、増々必要になってくる。          
  第二は、介護する人になりそうであったら、参考用に読んでほしい。          
  介護職員になったり、配偶者の世話をする人になったりしたら、大いにぼやいてほしいので          
 ある。さらにこの本を読んで介護の前例があり、対処方法も理解できた等と参考になれば幸い          
 である。それで介護の憂さ晴らしをしてほしいのである。その実、私もこの本を書いて介護の          
 憂さを晴らしているようなものである。また、介護に関することを、川柳にしたり、絵にしたり、          
 音楽にしたりして楽しむことも良いであろう。          
  第三は、介護が必要になった人も、参考用に読んでほしい。          
  運悪く介護が必要になった人には嫌がられる要介護者とはどのような人物かを知ってほしい。          
 介護の現場は戦場のようなものである。介護する人と介護される人との個性がぶつかり合って          
 いる。要介護者は神輿に担がれて大喜びしているバカ殿ばかりではない。要介護者は病人          
 でもない。治療に専念している時のように、病院の先生や看護師の指示に従順ではない。          
 介助について、文句は言うし、嫌がるし、たまには暴力をふるうのである。普通の家庭(施設)          
 内で、これが普通の人間(要介護者)の生活態度である。          
  第四は、団塊世代の介護は、バラエティに富んだ夢のような内容になってほしい。          
  介護問題については、いつも人口の多い団塊世代が引き合いに出される。2015年は65才。          
 2025年は後期高齢者の75才になると問題視されるのである。私は団塊世代に介護が必要に          
 なるのは85才以上になった時分であろうと思う。団塊世代介護の2035年問題の提起である。          
 今から20年後の世界である。このような話をすると、ほとんどの皆さんは笑い飛ばしてしまう。          
 明日の身も定かでないのに、20年後はわかったものではないとの解釈である。このように笑い          
 飛ばしている人々が、20年後には確実に要介護状態になっている可能性があるのだ。20年          
 後の介護は、現状介護の延長線であってほしくない。バラエティに富んだ夢のような内容の          
 介護サービスであってほしい。そのための準備が必要であろう。このつぶやきが団塊世代を          
 介護する人達の参考になれば幸いである。          
           
  第一章はかたぐるしい内容なので飛ばして、第二章から読んでもらって良い。第二章の用語          
 は必ず読んでいただきたい。以後の章に使用する言葉群である。なお、要介護者とは、要介護          
 者(要介護度1~5までの者)及び要支援者(要支援1、2の者)のこととする。          

いきさつ

 

           
  [介護職員への いきさつ]
           
  「介護職員は私の第二の仕事となった。実務経験を礎にして ホームヘルパー(介護職員初任者           
 研修)、介護福祉士(ケアワーカー)、介護支援専門員(ケアマネージャー)の資格を取得できた」           
            
  私の第一の仕事は、IT(Information Technorogy)業界であり、35年間ほど働いてきた。仕事           
 の終りでは、2000年に開始した介護保険のパソコン会計システムの販売、構築に携わった。           
 介護保険適用施設の請求書は、電子媒体化されていることが第一条件であった。2000年5月の           
 ゴールデンウイークは、第一回分(2000年 4月)請求書の締め切り日であった。しかも請求書は           
 パソコン通信で伝送されなければならない。すべて日本で初めての取り組みである。請求書の           
 電子媒体化や伝送に失敗したら、介護施設への料金支払いが1ケ月遅れてしまう。介護施設は           
 死活問題である。販売したすべてのお客様で、電子媒体化や伝送できたことを確認した時は、           
 胸をなでおろし、ほっとしたことを今でも思い出す。           
 ケータイ(携帯電話)やスマートフォンが普及した近頃では、写真や資料を添付してメールする           
 ことは当たり前のことになっている。言葉や表現は変わっていても、行っている操作や内容は           
 同じである。10年以上もたつと物事は大きく変化するものである。           
            
  パソコンの普及でIT業界はリストラ(再構築、ReStructure)が激しくなった。私も会社の再構築           
 (統廃合)で退職した。失業保険を受給中、ホームヘルパー2級資格取得の講習会を受講した。           
 講習会主催はシルバー人材センターで費用無料、受講者は30名、年齢は55才以上であった。           
 その講習は165時間にわたり介護関連の基礎知識、介護技術の演習、介護実習をする内容で           
 ある。講習の大半は理解できる内容であった。ところが、私の苦手とする項目が含まれていた。           
 それは家事(調理、炊事、洗濯、掃除)支援である。私は「あなた作る人、私食べる人」を決め           
 込んで、家内に家事を一切、任せっぱなしであった。そのような私が訪問介護では、要介護           
 者宅の冷蔵庫を開け、食材を見て、本日のメニューを考えて、調理したりするのである。当然           
 電子レンジ、炊飯器や全自動洗濯機、さらにIH(電磁誘導加熱)方式の最新台所用品を利用           
 するのである。訪問介護では、さわったことのない器具を操作したり、行ったことのない家事を           
 するのである。自分に出来ないことは、他人へ世話できないと思えた。このようなことから、           
 ホームヘルパーの仕事は無理とあきらめ、デイサービス送迎バスの運転手になろうと考えた。           
            
  講習会が終り近くになると、シルバー人材センターが介護関連の団体や施設への再就職           
 面談会を設けてくれた。私は介護実習を特別養護老人ホームS施設でした。そのS施設が、           
 本面談会に参加、求人に来ていた。私はS施設のみと心に決めて、従事する介護内容の           
 説明を受けた。その介護内容は、身体介護(食事介助、風呂介助、排泄介助)する介護           
 職員の手伝いである。7:00からの朝食は宿直と早出の介護職員で対処しており、介護           
 職員数が不足している。朝食介助を中心にした午前中のパート勤務であった。調理は           
 専門業者へ委託しておりS施設内の厨房で行っている。S施設の介助作業を家内と話し           
 合いして、出来そうであると判断して、再就職を決めた。           
  施設内の介助作業であり、ホームヘルパーの資格は必要ない。そこで気の早い私は講習           
 会の卒業証書(ホームヘルパー2級資格)を手にする前から、S施設で介助作業に従事し           
 始めた。介護職員のスタートである。           
            
  私は身体介護の具体的な介助作業を1ケ月間行うことができるか、否かを知りたかったので           
 ある。すなわち、各作業に伴う身体及び精神的な疲労を経験して、介助作業に従事し続け           
 られるかを決めたかったのである。1ケ月が無事に過ぎ、3ケ月、1ケ年が瞬き間に過ぎて           
 いった。そのうちに3年、5年が過ぎていった。           
 この期間中の実務で介護関連の知識や技能も幾分か向上した。その結果として介護福祉士           
 の資格を取得、さらには介護支援専門員(ケアマネージャー)の資格も取得した。66才にて、           
 新米ケアマネージャーの誕生である。           
  私が介護職員を始めたことを家内は喜んでくれた。その理由は家内自身が要介護者に           
 なった場合、夫の私に介護してもらえる安心感からである。その時は私も家事をしなければ           
 ならないと思っている。